水泳訓練の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 05:02 UTC 版)
「橋北中学校水難事件」の記事における「水泳訓練の開始」の解説
橋北中学校では、予定通り1955年(昭和30年)7月18日より文化村海岸で水泳訓練を開始した。 文化村海岸とは以前から同校が水泳訓練を行ってきた場所で、安濃川河口右岸から南方に広がり満潮時にも数十m幅の砂浜を残す遠浅の海である。7月18日から27日までの訓練場は、安濃川右岸から約300m南方を北限とし、南北の渚の線で約60m(約70m)、渚より東方沖に水深1m前後を標準として3,40m(約40m)の所とした。この区域は竹の表示竿で区切り、南北に区分して、訓練開始当初2日間は男子を北側、女子を南側に入れたが、以後は男女の場所を入れ替え女子を北側にした。これは女子が水泳終了後、男子より少しでも早く北方にある校舎に帰り着替えできるようにとの配慮からであった。橋北中学校訓練場の北側には市立南立誠(みなみりっせい)小学校、南側には市立養正小学校の水泳場が設置されていた。男子側も女子側も各組の使用場所を特定区分することはせず、組担当職員を中心にその附近で練習させていた。
※この「水泳訓練の開始」の解説は、「橋北中学校水難事件」の解説の一部です。
「水泳訓練の開始」を含む「橋北中学校水難事件」の記事については、「橋北中学校水難事件」の概要を参照ください。
- 水泳訓練の開始のページへのリンク