民間人殺害についての証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:18 UTC 版)
「ジョン・マギー」の記事における「民間人殺害についての証言」の解説
1937年12月14日、マギーの雇っていた15歳の料理人が、約100名の中国人と共に南京の城外に連行され、日本兵が殺し始めたが、料理人は縄を解いて穴のなかに隠れて逃げることができた。 ある晩、1000〜2000人の中国人の二列縦隊が手を縛られて連行されていた。「中国の兵隊が居るのを一人も見かけなかつたのでありまして、全部便衣を着て居つた」、中国人は「全部銃剣で突かれた」が、死んだふりをして生存することができたものが帰ってきた。 12月16日、マギーが避難民収容所に行くと、日本軍が14名と1000名を拉致し、揚子江沿岸で機関銃によって殺害したと生き残った苦力から聞いた。同じ日に、マギーの運転手の兄弟も拉致され、市内の広場に連れて行かれた。 1938年1月5日、仏教徒の尼僧の家があった寺の後ろで25人の中国人が殺害された。一番上の65歳の尼僧と10歳の見習い尼僧が日本兵に殺害された。 1938年1月終り頃、南門内側で約五百人の中国人が殺されたと聞いた。
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