民自党圧勝の要因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/26 14:23 UTC 版)
「1991年韓国地方議会議員選挙」の記事における「民自党圧勝の要因」の解説
選挙前に水西事件やフェノール汚染事件といった政府に対する国民の不信感を増幅するような事件が続発した上に、インフレや家賃高騰などで低所得者層を中心に国民生活に深刻なダメージが生じていたため、与党にとって不利な状況であったように見えた。しかし、全国民族民主運動連合(全民連)や全国大学生代表者協議会(全大協)などの在野勢力と野党が共同して行った盧泰愚政権退陣要求デモ(5月闘争)が過激さを増す中、焼身自殺した全民連の社会部長の遺書を総務部長が代筆していたことが明らか(5月29日)になると反政府運動に対する国民の批判が高まった。そのうえ6月3日には鄭元植国務総理代理(前文教部長官)が韓国外国語大学校で行った最終講義の後、デモ参加学生によって小麦粉や卵を浴びせられた上に校内を引き回される事件が発生したことで、過激な反政府運動に同調する野党に対する国民の不信感は決定的なものとなり、そのことが野党の敗因につながった。
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