民自党石倉慎介派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:49 UTC 版)
石倉慎介率いる民自党の派閥。親米派。劇中で確認できる派閥メンバーは夏木惇史。大震災から1年後に親中派の柳拓磨派と対立した末、国会に提出した博多への首都移転案が拓磨派の牛歩戦術で成立不可能になったのに対抗して、石倉が千歳基地から緊急視察と称して米軍機にて博多へと亡命。博多を日本の首都とすると宣言し、なおかつ札幌の臨時政府改め北日本(ノースエリア)政府とは異なる、南日本(サウスエリア)政府の発足を表明する。その後はアメリカ及びロックウェルと歩調を合わせて南日本の復興を行うも、次第に権限の増大するロックウェルと惇史達石倉派を含めた政府関係者との対立が発生。その果てに宗方によって全く新しい方針が打ち出され、ロックウェルと惇史がこれに同調したことで、そして行政長官制発足により石倉の内閣総理大臣というポストが全く意味を成さなくなった為、石倉派が当初に掲げた目標は実現不可能となってしまう。
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