民族高校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 06:44 UTC 版)
「ソルバング (カリフォルニア州)」の記事における「民族高校」の解説
ノルデントフトはソルバングの小さな民族学校に満足していなかった。より大きな教育機関の必要性についてグレガーセンとホルンシルトを説得できなかったときに、より大きくよりましな学校のための資金集めを始めた。翌1914年8月、新しく印象的な建物の棟上げ式が行われ、14世紀にデンマーク王国を確固たるものにしたヴァルデマー・アッテルダークに因んでアッテルダーク・カレッジと名付けた。式に来た者達を驚かせたのは、その建物がグランドビュー・カレッジとよく似ていることだった。村を見下ろす岡の上に建った、新しいカレッジすなわち民族高校は、デンマーク語を話す10代後半の生徒達に、講義、歌唱、運動、フォークダンスおよび友情を強調して、如何に意味のある人生を送るかを教えるように考えられていた。第一次世界大戦でデンマーク人移民がアメリカに渡る機会が閉ざされて難しい時代となり、学校教育を求める若者の数が減ることになった。ノルデントフトはアメリカにおけるその大望を果たしたと考え、1921年にカレッジをソルバング・ルーテル教会に5,000ドルで売却し、妻や家族と共にデンマークに帰った。アッテルダーク・カレッジは、民族学校、地域社会の集会所、芸能の公演場所、体育館、サマースクール、寄宿舎として使われ続けたが、1970年に解体され、ソルバング・ルーテル・ホームが造られることになった。
※この「民族高校」の解説は、「ソルバング (カリフォルニア州)」の解説の一部です。
「民族高校」を含む「ソルバング (カリフォルニア州)」の記事については、「ソルバング (カリフォルニア州)」の概要を参照ください。
- 民族高校のページへのリンク