民族誌学的アプローチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 02:51 UTC 版)
「フン族の起源」の記事における「民族誌学的アプローチ」の解説
ピーター・ヘザーなどの学者は、民族誌学的な観点からフン族と匈奴の関係に疑義を呈している。例えば匈奴は辮髪をしていたと記されているが、フン族にそのような風習は無かった。またメンヒェン=ヘルフェンは、フン族が髭を生やさない人々と描写されているのに対し、匈奴は髭を生やしていたと記録されている点も指摘している 。林はフン族の戦法や生活様式がアジア系の騎馬遊牧民の特徴を有しており、匈奴やスキタイとの共通点もあるが、フン族が匈奴であると断定できるほどではないとしている。 エフタルについては、メンヒェン=ヘルフェンはプロコピオスの「フン族とは一切異なっている」という記述を採用している。彼によれば、結婚制度についてもフン族は複婚制を、エフタルは一妻多夫制を取っていたという。またプロコピオスはエフタルが「白い体」をしていたと記録しているが、フン族は暗い色の肌をしていたとされる。これについてキムは、単なる地理表現に過ぎない「白いフン」という言葉を聞いたプロコピオスが、肌の色のことだと誤解したのだと主張している。 ヘザーは他にも、匈奴が単于と呼ばれる一人の君主の下に統一勢力を形成していたのに対し、フン族はヨーロッパに出現した当時に単一の指導者を持っていなかったとみられる点を指摘している。これについてキムは、フン族も当初から支配者の下に統一されていたはずで、現存する史料に記録されていないだけだと主張している。 キムはフン族と匈奴の文化的共通点として、剣に対する信仰があったことを指摘している。匈奴については「徑路」、フン族については「マルスの剣」の話が伝えられている。
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