残骸調査とデータの復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 15:35 UTC 版)
「ゴル航空1907便墜落事故」の記事における「残骸調査とデータの復元」の解説
ブラジル空軍は墜落現場に5機の固定翼機と3機のヘリコプターと200人の調査隊を派遣した。また現場の森に精通したカヤポ族の人々による事故現場への道案内も受けた。最初は「5人の生存者が見つかった」という情報が出たが、その後誤報だったことが判明した。ブラジルの大統領であるルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ(当時)は、国民は3日間喪に服すことを宣言した。 事故現場の残骸からフライトデータレコーダーと、コックピットボイスレコーダーが回収され、データ解析のためにカナダ運輸安全委員会に送られた。回収されたフライトデータレコーダーは正常だったが、ボイスレコーダーのメモリモジュールは衝撃で外れており、データの復元ができなかった。 ブラジル空軍は金属探知機を用いて約200人態勢で捜索を行い、約4週間後にメモリモジュールが発見された。モジュールは大きな損傷もなく、ほかの残骸から離れた位置で土の中に約20cm埋まった状態で発見された。メモリモジュールはカナダ運輸安全委員会に送られ、解析調査が行われた。 10月4日、遺体輸送用のデ・ハビランド・カナダ DHC-5 バッファローが到着し、ブラジリアに向けて遺体の搬送が始まった。 回収チームは草木生い茂るジャングルの中での7週間にもわたる捜索の末に全員の遺体を回収し、2006年11月22日までにはDNA型鑑定により、すべての犠牲者の身元が特定された。
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