武将・小栗助重としてとは? わかりやすく解説

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武将・小栗助重として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 08:42 UTC 版)

宗湛」の記事における「武将・小栗助重として」の解説

鎌倉府鎌倉公方)の管轄国内の武士ありながら室町幕府征夷大将軍直接主従関係を結ぶ京都扶持衆一つである常陸小栗氏出身であり、初め小栗 助重(おぐり すけしげ)という名(俗名)の武将であったこの頃常陸小栗氏は、応永30年1423年)に小栗満重鎌倉公方足利持氏対し反乱小栗満重の乱)を起こして没落していた。その持氏が永享の乱起こして自害すると、結城氏朝がその遺児足利春王丸足利安王丸)を擁して挙兵するが(結城合戦)、満重の子または弟(前者が有力)である助重がこの戦いで武功立てたことにより、旧領への復帰許され家督継承。しかし、のち康正元年1455年)に享徳の乱最中で持氏の遺児(春王丸安王丸の弟)である足利成氏攻撃受けて本貫地である小栗御厨荘(現在の茨城県筑西市)を失ってしまい、まもなく出家し宗湛入道と号す。

※この「武将・小栗助重として」の解説は、「宗湛」の解説の一部です。
「武将・小栗助重として」を含む「宗湛」の記事については、「宗湛」の概要を参照ください。

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