歌と手まりを木村家に預けるとは? わかりやすく解説

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歌と手まりを木村家に預ける(文政十年夏 閏六月十五日頃 30歳)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 05:42 UTC 版)

貞心尼」の記事における「歌と手まりを木村家に預ける(文政十年夏 閏六月十五日頃 30歳)」の解説

〔「あつき時分」の晩夏貞心尼木村家訪れた。閏六月十五日(満月)頃に貞心尼は歌と手毬持って木村家訪れたであろうが、またしても良寛会えない。密蔵院にいた良寛頻繁に木村家訪れただろう。貞心尼の歌と手毬置かれ日数があまり立たぬうちに良寛返歌した。〕 これぞこの ほとけのみちにあそびつつ つくやつきせぬのりなるらむ 貞心尼 出会いの手まりの贈答歌は、林甕雄本「良寛禅師歌集」の付箋に「この贈答の歌は貞心尼良寛禅師をとひけるに、おはしまさヾりけれバ、手まりこれやこの歌をそへて残しおきける。師後につきてみよの歌をかへし玉ふと遍澄師いふ」とあるように、密蔵院仮寓不在中の出来事であった。 — 宮 栄二 、「貞心尼良寛 : 関長温との離別説」『越佐研究40, 1980, p. 54 「あつき時分は御かへり遊ばさるべくと存じ候へばどふぞやそのみぎり参りたき物とぞんじまゐらせ候」と述べているから、貞心尼夏の盛り良寛木村家訪ねたのだろう。その折手作りの毬を土産にしたらしい。しかし良寛留守だったので、歌を木村家託しておいたと思われる。秋、帰庵した良寛はその歌を見て返歌送った。それが「御かへし」の歌である。「つきて見よといっているから、貞心尼訪問促した見てよい。 — 谷川敏朗 、『良寛 伝記年譜文献目録1980, p. 403文政十年は、立春 一月九日1827年2月4日立夏 四月十一日=56日立秋六月十六日8月8日立冬 九月十九日11月8日となる。現代定気法による計算。但し文政時代実際の暦には数日誤差があるといわれる。〕

※この「歌と手まりを木村家に預ける(文政十年夏 閏六月十五日頃 30歳)」の解説は、「貞心尼」の解説の一部です。
「歌と手まりを木村家に預ける(文政十年夏 閏六月十五日頃 30歳)」を含む「貞心尼」の記事については、「貞心尼」の概要を参照ください。

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