欧米視察・東京港築港出願
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「浅野埋立」の記事における「欧米視察・東京港築港出願」の解説
浅野財閥総帥浅野総一郎は、明治29年(1896年)から明治30年(1897年)に欧米の港湾を視察した。当時、日本の港は水深が浅いために、大きな船は港の沖に停泊して、艀(小舟)が船と陸地を往復して人や荷物を運んでいた。ところが、欧米では大きな船が港の岸壁に横付けし、船から鉄道貨車へ電動式の機械で短時間に荷下ろしが行われていた。この差を見て、浅野総一郎は埋立築港事業を決意した。早速、明治32年(1899年)に品川湾二十一万坪の埋立計画を東京に出願したが許可されなかった。明治43年(1910年)には、横浜と東京に係船岸壁のある港を建設し運河も建設して六百万坪の埋立地を造り工業地帯にする計画を東京に出願したが許可されなかった。
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