樽屋の収入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/13 13:12 UTC 版)
町年寄は江戸の町の支配を行う町人であり、他の御用達町人と同様に屋敷を拝領し、この屋敷地を経営して、その地代収入を職務のための経費とした。寛政元年(1789年)の調べでは、当時の当主・第12代樽屋与左衛門の地代収入は550両、古町町人が納入する晦日銭という金が31両、合計581両となっている。 これ以外に以下の屋敷地が拝領され、これらの土地を貸して地代収入を得ていた。 元数寄屋町一丁目(239.969坪)・岩代町(686坪余)・橘町一丁目(341.446坪)・米沢町三丁目(974坪) この他にも、樽屋は枡座を営んでおり、東日本33ヶ国の枡改の権利を有し、枡の製造・販売の特権を与えられている。文化12年(1815年)の届けによると、枡の販売代金として224両余の収入を得ている。 また寛保元年(1741年)から明和6年(1769年)まで、神田上水と玉川上水の事務を担当していたため、それぞれ扶持米100俵(石高100石相当)を支給されていた。寛政以後は札差仕法改正御用掛として、100俵の扶持米が支給された。
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