樺戸集治監のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 15:58 UTC 版)
月形が去った後も囚人達の開拓は進み、1886年(明治19年)には日本で初めてといわれる上水道を建設する。これは月形水道或いは監獄水道と呼ばれる。1896年(明治29年)には円福寺を建築する。住民と囚人との間でも交流がすすみ、囚人が住民の家を建てることもあったという。1909年(明治42年)には先の仮御堂建築した北漸寺本堂を完成させる。1919年(大正8年)に樺戸集治監は廃監となったが、その後は1973年(昭和48年)まで月形村役場として活用された。月形の地には以後監獄はなくなったが1970年代に刑務所の誘致運動が興る。おりしも東京・豊多摩刑務所の移転が検討されていた事もあり、運動の甲斐あって1983年(昭和58年)に月形刑務所が設置された。 1973年(昭和48年)に月形町役場(1953年(昭和28年)に町制施行)が新庁舎に移ると旧樺戸集治監は新たに「北海道行刑資料館」として生まれ変わり、1996年(平成8年)同館は月形樺戸博物館と名称変更する。月形町には月形潔の銅像も建立されている。
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