楠神社
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祭神:楠木正成之命、楠木正行之命 社伝によると、寛文3年(1663年)に佐賀藩士により京都の仏師法橋宗而に依頼し楠公父子像が制作され、佐賀市大和町の永明寺に小堂を建て祀ったのが佐賀楠公奉祀の始まりであり、日本で最初に楠公父子(楠木正成、楠木正行)を祀ったとする所以である。嘉永3年(1850年)に結成された楠公義祭同盟の働きかけにより、1853年に八幡宮境内に楠社を創建し移祀された。歴代藩主公認のもと慰霊、祭祀が行われていた。1880年(明治13年)まで義祭同盟により、毎年5月25日に義祭が行われていた。 例祭:5月25日(正成公命日)
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楠神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 17:27 UTC 版)
南方熊楠は、藤白王寺の境内にあるこの社から「熊」・「楠」の字を授けてもらった。また、兄妹の名前に見える「藤」の文字も子どもが生まれると、この社から授けてもらい神の加護によって無事成長することを祈って命名した。これは楠の木に対する信仰に由来する。藤白王子が周辺二十四か村の産土神であり、楠木神社から名を授かる風習のあったことは『紀伊国名所図会』にもみえる。
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