末社 楠神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/07 16:35 UTC 版)
楠大明神を祀り、玉垣内八王子神社の東に鎮座する。もと和歌山市楠本字南ノ口に鎮座し、『国帳』に載せる「従四位上 楠本大神」と見られ、近世には「楠本神社」や「楠本大明神」と称された。延暦5年(786年)に、楠本に棲息していた大蜘蛛を退治した坂上田村麻呂によって創祀されたと伝え、明治6年に無格社とされたが、同43年に遷祀の形で力侍神社に合祀された。因みにこの大蜘蛛について、『紀伊国名所図会』(文化8年〈1811年〉刊の初編。以下『名所図会』と略す)によると、かつて楠本には楠の大木が聳え立っていたが、そこに大蜘蛛がいて楠樹から和佐山(現高積山)まで巣を張って人民を困らせていたので、大同年中(9世紀初頭)に勅命を蒙った田村将軍(田村麻呂)がこれを退治すると共に楠樹も伐り倒し、その切り株から楠が叢生して森を形成したとの伝えがあり、当時(19世紀初め)には実際に周囲30尋(およそ50メートル)、数千年の齢を経たと思われる切り株があったと記している。また『続風土記』は楠本神社を九十九王子の「中村王子跡」に比定し、これが現在の通説とされるが、下述するように異論もある(「文化財」節の「史跡川辺王子跡」参照)。なお、杉原泰茂(延享3年〈1746年〉の『南紀神社録』)や『名所図会』では祭神を熊野樟日命としている。
※この「末社 楠神社」の解説は、「力侍神社」の解説の一部です。
「末社 楠神社」を含む「力侍神社」の記事については、「力侍神社」の概要を参照ください。
- 末社 楠神社のページへのリンク