末盧国の所在地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 08:24 UTC 版)
魏志倭人伝や北史倭国伝には、末盧国に至るまで、次のように書かれている。 魏志倭人伝(原文)魏志倭人伝(訳注) 北史倭国伝(原文)倭人在帯方東南、大海中。 倭人は帯方の東南、大海の中にあり。 倭國在百濟、新羅東南、水陸三千里。 從郡至倭、循海岸水行、歴韓國乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。 郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓国を経て、乍(あるい)は南し、乍(あるい)は東し、その北岸狗邪韓国に到る七千餘里。 計從帶方至倭國、循海水行、歴朝鮮國、乍南乍東、七千餘里。 始度一海、千餘里至對海國。 始めて一海を度る千余里。対馬国に至る。 始度一海。又南千餘里。 又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。 また南一海を渡る千余里、名づけて瀚海という。一大国に至る。 度一海、闊千餘里、名瀚海、至一支國。 又渡一海、千餘里至末盧國。 また一海を渡る千余里、末盧国に至る。 又度一海千餘里、名末盧國。
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