楊貴妃と楊貴氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 14:51 UTC 版)
上述延見寺について、楊貴氏はこの寺で晩年を送ってそこで死去したために境内に営墓し、後に寺もろともに埋没したという伝えがある。一方、日本各地に安史の乱を逃れた楊貴妃が流着したとの伝承を持つ地があり、山口県大津郡白津具村(現長門市油谷)の旧家八木家には楊貴妃が同村に漂着して死歿し、その子孫が「楊貴妃」に因んで「八木」を家名としたとの伝があり、それは中世以後に楊貴妃漂流譚が発生し、八木氏の起源をその漂流譚に附会させたものと思われるので、延見寺の「老後の楊貴氏」も実は「老後の楊貴妃」で、同寺に楊貴妃漂流に関する伝承があり、更に当地に八木氏が居住した記憶があったために「八木氏」と「楊貴妃」を関連づけて説かれるようになった伝承ではないかとの憶測ができる。また、上述のように「楊貴氏」の好字と「楊貴妃」とは無関係の偶然としか解せないのであるが、そう見るには「なにか割りきれぬ点もある」。
※この「楊貴妃と楊貴氏」の解説は、「楊貴氏墓誌」の解説の一部です。
「楊貴妃と楊貴氏」を含む「楊貴氏墓誌」の記事については、「楊貴氏墓誌」の概要を参照ください。
- 楊貴妃と楊貴氏のページへのリンク