桜島の安永大噴火による島の形成と移住とは? わかりやすく解説

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桜島の安永大噴火による島の形成と移住

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 04:50 UTC 版)

新島 (鹿児島県)」の記事における「桜島の安永大噴火による島の形成と移住」の解説

安永8年1779年11月1日黒神御岳、脇、有村高免白浜の間の海面噴火発生し翌年安永9年までの間に8つ小島湧出した。そのうち1つ新島である。詳細には、1780年安永9年4月1日)、鹿児島湾海上に岩が出現し4月8日には島となった4月15日には同様に出現した島と一つになり東の砂島となった一方5月17日には海上別の岩が出現し6月5日に島となった。この島も6月11日別の島と一つになり西の砂島となった7月17日から18日にかけて両島の間にさらに別の島が出現し、東の砂島と西の砂島をつなぐ形で一つ大きな島すなわち新島となった1781年天明元年3月18日)に島の西側噴火があった。1785年天明5年)の地図によると当時新島現在の数倍の面積があり、南、北西北東に岬を配する三角形呈していた。南端の岬はスサキ北東端の岬はカンノスと呼ばれ、カンノスの南側入り江挟んでシモンスと呼ばれる岬があった。カンノスとシモンスは1786年天明6年7月16日)に襲来した台風のために消失している。 寛政12年1800年)に桜島赤水現在の桜島赤水町)と黒神現在の黒神町)から25名が移住しそれに伴い新島桜島南西部にある赤水所属となった

※この「桜島の安永大噴火による島の形成と移住」の解説は、「新島 (鹿児島県)」の解説の一部です。
「桜島の安永大噴火による島の形成と移住」を含む「新島 (鹿児島県)」の記事については、「新島 (鹿児島県)」の概要を参照ください。

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