桓武天皇以降の即位詔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 07:02 UTC 版)
不改常典はこの後しばらく言及されないが、桓武天皇の即位詔で再登場した。その大意は「天皇(具体的には光仁天皇)が天日嗣高座の業を天智天皇の初め定める法に従って受けよと自分に命じた。自分は恐れて進むも退くもできなくなったが、天皇の命なので即位する」というものである。 この詔以降、天智天皇が「初め賜い定め賜える法」になり、「不改常典」の句がない。そこで、これ以降の「初め定める法」は本来の不改常典から変質したと考える説や、まったく別物だとする説もある。 桓武天皇の形式は、同じ文脈とほぼ同じ語法でその後の天皇に踏襲された。「淳和天皇御即位記」には淳和天皇の即位詔がある。『続日本後紀』には仁明天皇の即位詔がある。『日本三代実録』には、清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の即位詔がある。「御三条院即位記」が載せる後三条天皇の即位詔、「安徳天皇御即位記」が載せる安徳天皇の即位詔、「四条院御即位記」四条天皇の即位詔、「拾芥記」が載せる後柏原天皇の即位詔、「御昇壇記」が載せる中御門天皇の即位詔は、ほぼ同じ形で天智天皇の初め定める法を載せている。 平安時代以降で注目すべきは、『朝野群載』という模範文例集に即位詔の例文が載せられたことである。文面がほぼ同じ形で固定したのは、このような文例に従って詔が作られたためと考えられる。
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