柔道界への復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:35 UTC 版)
2011年4月30日、石井はアメリカ・フロリダ州オーランドで行われた全米体重別選手権のオープン参加クラスに参加し、全試合一本勝ちで優勝を果たした。試合後のインタビューで「全日本王者の鈴木桂治選手と闘いたい。彼にその度胸があればの話ですけど」と話した。アメリカ柔道連盟のナディング会長は石井について、「将来的にアメリカ代表になる気持ちがあるなら、可能な範囲でサポートしていきたい」と話した。全日本柔道連盟の規定により、プロ格闘家に転向した選手は、プロ格闘家を引退してから選手は3年、指導者は1年経たなければ日本柔道界に再登録することができないが、アメリカ柔道連盟はプロ格闘家にも柔道の試合への出場を許可しているため、石井は「アメリカの永住権と市民権を取って、2016年リオデジャネイロオリンピックにアメリカ代表として出場して金メダルを取る」と公言していた。 2013年4月14日には全米選手権の無差別に出場したが、決勝では現地で柔道指導に当たっている元全日本強化選手の高橋徳三を相手に指導2を先取して優勢に試合を進めていたものの、高橋が内股を放った際に右脚を右手甲で防御したことにより石井の反則負けとなり、2007年の全日本選手権決勝で鈴木に敗れて以来、柔道では約6年ぶりの敗戦を喫することになった。石井も帯から下に触れることが全面禁止になった新ルールに対応できず、「マジでむかつくし、訳が分からない。おかしいよ」と不満をぶちまけた。7月にはアメリカ柔道連盟からの申請を受けた国際柔道連盟より、六段を授与されることになった。 2014年5月5日、全米選手権の無差別級に出場したが、準々決勝でまたも高橋に反則負けを喫した。試合後には「高橋先輩は強かった。全然柔道をさせてもらえなかった。優勝して帰りたかったけど、両者指導の後、もう1回僕だけ指導を取られ気持ちが切れてしまった」と無念そうに語った。
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