板垣支隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 16:55 UTC 版)
29日、本宮を出た板垣支隊(土佐藩迅衝隊)は一路二本松城へ向かっていたが、尼子平にさしかかると小川の1小隊から一斉に射撃を受けて行軍が停止した。すぐに先陣を行く薩摩藩11番隊がこれに反撃しようと尼子平に向かうが、切り立った地形を利した小川を崩すことができずにいた。代わって砲隊に任せようとするも、薩摩藩に随行して近づきすぎたために射角が大きくなりすぎて砲撃が叶わない。使用できない山砲に変えて威力が劣るものの使用可能な130ミリの携臼砲を使うしかない場面だったが、射撃の中でその作業は容易に進まなかった。後続の薩摩藩12番隊は先行する11番隊の苦境を見て援護を開始し、佐土原藩、土佐藩、彦根藩もそれぞれ尼子平の包囲に動く。 砲隊は支援を受けてようやく砲撃の体勢が整い、板垣支隊は尼子平の小川の部隊に総攻撃を仕掛けた。尼子平は抗戦の末に陥落し、小川も戦死する。これにより、板垣支隊は二本松城の目前の大壇陣地へ砲撃が届く距離に移動し、激戦の末に大壇陣地を攻略してついに二本松城に到達する。しかし、板垣支隊が尼子平に手間取っているうちに、東から攻め込んだ小浜支隊がいち早く二本松城に突入し、街の随所からは火の手があがっていた。
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