松尾正信
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松尾 正信(まつお まさのぶ)は日本の工学者。京都情報大学院大学の教授[1]である。
- ^ https://www.kcg.edu/faculty/professor/m-matsuo
- ^ a b https://books.google.co.jp/books?id=DACoDwAAQBAJ&pg=PA222&dq=%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E6%AD%A3%E4%BF%A1
- ^ a b c https://www.hmv.co.jp/artist_%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E6%AD%A3%E4%BF%A1_200000000406703/
- ^ 松尾正信; D.stottParkerJr.; PaulEggert「Prologによる知識データベースシステム」『情報処理学会研究報告データベースシステム(DBS)』35(1985-DBS-049)、1985年9月、1-8頁。
- ^ http://www.nec.co.jp/press/ja/0505/3101-01.html
- ^ https://www.air.co.jp/_files/press/more/release29.pdf
松尾正信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 05:14 UTC 版)
「北九州土地転がし事件」の記事における「松尾正信」の解説
北九州市八幡区(当時)大字楠橋の土地を坪当たり2000円前後で笠松炭鉱株式会社から買い取った直後、北九州市の幹部を自宅に呼びつけ、「解放同盟のところでは、道路の拡張で簡単に土地を買っとる。なんでこっち(全日本同和会)の土地が買えんのか。差別するのか」とこの土地を買い取ることを強要。市は初めは買い渋ったが「何の計画もないのに、土地を買うわけにはいきません。計画を立てるまでしばらく待ってください」と条件をつけ、のちに仮称「合札団地」用地として北九州市住宅供給公社が坪当たり1万円を超える高額で買い取った。この価格については「谷間や墓地があるなど、地形的に恵まれず、とても坪当たり1万円を超える土地とは思えない」と地元住民から疑義が提起された。北九州市住宅供給公社は、1972年から1976年まで15回にわたり松尾から少しずつ土地を買い続け、その間、買取価格は上昇を続け、1976年には坪当たり約6万円に達していた。この仮称「合札団地」の建設は実現せず、問題の用地は5年間放置された挙句、宅地として分譲する計画に切り替えられ、「これではまるで政策転がしだ。当初から公営住宅計画をもって、土地を購入したかどうかも疑問」と公明党の高尾新一議員から批判を受けた。松尾が北九州市八幡西区馬場山や合札などの土地転がしで得た利益は数億円にのぼったが、のち警察の捜査を受けるようになると「買収価格は市が決めたことだ」と突っぱねた。
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