東魏・西魏以降の変容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 04:34 UTC 版)
しかし534年に北魏が帝位争いにより東魏と西魏に分裂し、さらに550年に東魏が北斉へ、556年に西魏が北周へそれぞれ交替する頃になると、六朝楷書を取り巻く状況に変化が生じる。西魏で554年に王羲之・王献之、いわゆる「二王」の法帖が戦利品として持ち込まれるなど、南朝の書蹟である「南帖」やそれに類する書蹟が流入し始め、強い影響を与え始めたのである。 これによって北朝の書家の中には「二王」を手本として六朝楷書をかなり南朝寄りに変容させた書風を確立し、後世の隋や唐の楷書にも似た書蹟をものする者も現れた。従来型の六朝楷書も多くものされている中に混じっての出現ではあったが、この積極的な南朝書法の摂取は、後の南北合一の先駆をなすものであったと言ってよい。
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