東方領土への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/27 06:47 UTC 版)
「インド・パルティア王国」の記事における「東方領土への進出」の解説
匈奴が冒頓単于(在位:紀元前209年 - 紀元前174年)治世下で強大化して西方を脅かすようになると、元来タリム盆地に拠点を置いていた遊牧民の大月氏はサカ人の領土を奪い取り西遷した。パルティアのミトラダテス1世(在位:前171年 - 前138年)の治世には、北西インドのサカ人が本拠地のヒュルカニア(英語版)に侵入し始めた。紀元前128年、フラーテス2世はサカ人討伐に失敗して戦死し、インド・スキタイ人のインド・スキタイ王国や大月氏の大夏によって東方領土は占領されていた。 ローマとの抗争や、紀元前92年のミトラダテス2世の死などによってパルティア王国が弱体化すると、パルティアの大貴族スーレーン氏族(英語版)(王族から分岐した氏族)は東方領土に侵入を開始した。パルティア人は、ガンダーラ地方でクジュラ・カドフィセス(後にクシャーナ朝の王となる)など大月氏側の多くの地方領主と戦った後、全バクトリアと北インドの広大な領域を支配下に治めた。インド・スキタイ王国は、最後の王アゼス2世(英語版)が紀元前12年頃に死去するまで存続した。
※この「東方領土への進出」の解説は、「インド・パルティア王国」の解説の一部です。
「東方領土への進出」を含む「インド・パルティア王国」の記事については、「インド・パルティア王国」の概要を参照ください。
- 東方領土への進出のページへのリンク