東塔の移築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 15:33 UTC 版)
「世尊寺 (奈良県大淀町)」の記事における「東塔の移築」の解説
安土桃山時代にはすでに西塔は戦乱によって焼失していたが、鎌倉時代末期から室町時代初期に建てられた東塔は健在であった。しかし、文禄3年(1594年)豊臣秀吉によって解体され、伏見城に移築された。さらに慶長6年(1601年)には徳川家康によって近江国の園城寺(三井寺)に移建された。この三重塔は重要文化財として現在も残っている。 その後再び衰退し荒廃するが、江戸時代になって塔頭・法輪寺の力添えで浄土宗に改宗し復興が図られた。しかし、享保18年(1733年)3月に法輪寺が失火で全焼し、当寺の再興は中断された。 その後、当寺は更に曹洞宗に改宗したために、塔頭の法輪寺は浄土宗寺院として当寺から独立している。 寛延4年(1751年)、雲門即道により曹洞宗寺院として伽藍を整備・縮小して霊鷲山世尊寺と寺名を改めて再興し、現在に至る。 江戸時代には松尾芭蕉が訪れて、「世にさかる 花にも念佛 まうしけり」の句を残している。句碑は納骨堂の裏にある。
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