東光寺 (横浜市神奈川区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/02 00:11 UTC 版)
| 東光寺 | |
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| 所在地 | 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川2-37-6 |
| 位置 | 北緯35度28分36.7秒 東経139度38分8.1秒 / 北緯35.476861度 東経139.635583度座標: 北緯35度28分36.7秒 東経139度38分8.1秒 / 北緯35.476861度 東経139.635583度 |
| 山号 | 平尾山 |
| 院号 | 本願院 |
| 宗派 | 真言宗智山派 |
| 本尊 | 薬師如来 |
| 創建年 | 不詳 |
| 開基 | 平尾内膳 |
| 正式名 | 平尾山本願院東光寺 |
| 札所等 | 寅歳開扉武南十二薬師如来霊場11番、東国八十八ヵ所霊場19番 |
東光寺(とうこうじ)は神奈川県横浜市神奈川区にある真言宗智山派の仏教寺院である。本尊は太田道灌の持仏だったと伝わる。
本尊
薬師如来坐像 - 創建した平尾内膳の守本尊で、太田道灌から賜った守本尊だという。
寺名
道灌は内膳に本尊を与えるに際して「海山をへだつ東のお国より、放つ光はここもかわらじ」との歌を詠んだといわれ、これが寺名の由来となっている[1]。
歴史
後北条家家臣・平尾内膳の建立。創建時は平尾(現二ツ谷町)にあったが、後に当地へ移転した[2]。
1812年(文化9年)の文化神奈川地震で悉く崩壊し、その後は廃寺同様の有様だった時期があったという[2]。
1868年(慶応4年)の神奈川大火で類焼するも、1901年(明治34年)に復興、1907年(明治40年)の台風や1923年(大正12年)の関東大震災、1945年(昭和20年)の横浜大空襲でも大被害を受けるも、都度復興している[2]。
所在地・交通
神奈川県横浜市神奈川区東神奈川2-37-6
脚注と出典
- ^ 「東光寺」横浜市神奈川区(2025年10月20日閲覧)
- ^ a b c 『横浜市史稿 仏寺編』第4章仏寺各説 第2節 真言宗 第2項 新義真言宗(智山派) 3「東光寺」(横浜市役所 1932年)NDLJP:1213532/228
関連項目
- 東光寺_(横浜市神奈川区)のページへのリンク