来栖大使の交渉参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)
一方、15日に着任した来栖大使は、17日、野村大使とともにルーズベルト大統領と会談した(ハルも同席)。交渉の早期妥結を訴える来栖に対し、ルーズベルトは「友人の間に最後という言葉はない」(There is no last word between friends.)という言葉を引き合いに出して一般的諒解案を作る意向を示し、日中の和平問題についても「米国としては介入(intervene)も調停(mediate)もしない。外交用語にあるかは知らないが紹介(introduce)ということにしたい。双方を引き合わせるだけで話の内容に立ち入る必要はない」旨を述べた。三国同盟の参戦義務については、来栖は「日本独自の立場で決めるということは、決してドイツの言いなりになって米国の背後をおびやかすということではない。日米間の了解が成立すれば三国同盟は自然に光を奪われる(out shine)ようになる」として理解を求めた。この会談で来栖は交渉の前途に希望を持ったというが、ハルの記録によれば、大統領は両大使の訴えを軽く受け流し、会談の成果はなかったと記されている。
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