来栖大使の派遣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)
11月4日午前2時、東郷外相は来栖三郎を招致し、野村大使を応援するためワシントンに急行するよう要請した。東郷は日米関係の危機的現状と甲案及び乙案を説明し、特に乙案中の南部仏印からの撤兵については、交渉の最後の切り札として、野村には知らせず来栖へ託した。 東郷の要請を受諾した来栖は、4日の午後7時に東條首相と会見した。東條は、米国は両洋作戦の準備が不充分、米世論がまだ参戦を支持していないこと、ゴムや錫などの重要軍需物資の不足等を理由に「米国も濫りに戦争を望むまい」と述べ、交渉妥結の見込みは成功三分失敗七分位であるから、くれぐれも妥結に努力してほしいと力説した。来栖が交渉が妥結した場合、「首相は必然的に来るべき国内各方面の強烈な反対を排しても、飽くまで吾々の作り上げた妥結を支持遂行するか」と問うと、東條は力強い口調で必ず遂行すると断言したという(来栖は翌5日に東京を出発し、11月15日にワシントンに到着した)。
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