村田 勝喜とは? わかりやすく解説

村田勝喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 10:24 UTC 版)

村田 勝喜
基本情報
国籍 日本
出身地 石川県金沢市
生年月日 (1969-09-18) 1969年9月18日(55歳)
身長
体重
180 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト6位
初出場 1988年9月20日
最終出場 1997年7月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

村田 勝喜(むらた かつよし、1969年9月18日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

星稜高校では1年から登板し夏の県大会準優勝、秋は県大会優勝で北信越大会はベスト4。2年春も県大会優勝で北信越大会に進むが後にプロでも同僚となる高岡第一高田畑一也と投げ合って敗退。3年夏は県大会決勝で1失点完投するも敗れた。1987年ドラフト6位で南海ホークスに入団。

1988年終盤に頭角を現し、将来性の高い二枚目の速球投手として注目された。南海ホークスとして最後の試合となった10月20日(いわゆる「10.19」の翌日)の川崎球場での対ロッテオリオンズ戦にも2番手の投手として登板している(その結果、南海ホークス最後の敗戦投手となった)。

1989年に7勝を挙げ、この年絶不調だった南海時代のエース山内孝徳に代わる新エースとして一躍有名になった。

1990年はさらに期待されて背番号15に変更、開幕後に山内和宏が移籍してシーズン中にエースナンバー18を引き継ぐと前年と同じく7勝。

1991年権藤博が投手コーチに就任すると初の開幕投手、エースとなってオールスターゲームで先発も務めた。チーム最多の13勝を挙げる。

1992年から2年は10勝、いずれも開幕投手を務めた。

1993年オフ、秋山幸二渡辺智男内山智之3選手との交換トレードで、佐々木誠橋本武広両選手と共に西武ライオンズに移籍した[1]。ダイエー時代はバックが弱く、好投してもなかなか勝てないことが多かったため、黄金時代の西武に移籍し名実と共にリーグを代表する投手になると思われたが、全くの不振(登板中にぎっくり腰になるなど)で、2年間で4勝しか挙げられなかった。当時について村田は「柄にもなく、細かいコントロールを狙って、小手先の投球になっていた」と振りかえった[2]

1995年10月11日、清水雅治前原博之2選手との交換トレードで、山野和明と共に中日ドラゴンズに移籍することが発表された[3]。年俸は6,500万円(推定)。入団直後、村田の背番号は32、山野の背番号は50と発表されたが[4]、これは当時、中日が武田一浩日本ハムファイターズ)や前田幸長千葉ロッテマリーンズ)の獲得に向けて交渉中であったことから、彼らの動向を見て背番号を決める必要があるため、暫定的に割り当てられたもので[5]、同年12月28日、村田の背番号は西武時代と同じ21となることが発表された[6]。当時の監督である星野仙一から「(この年トレードで獲得した)村田と前田で20勝は計算できる」と評されたが、結局1勝のみに終わり(前田は7勝)、4月28日に登録抹消されてからは一軍のマウンドに戻ることはなかった。契約更改では5800万円(推定)にダウン。同年シーズン終了間際には、ハワイ・ウィンターリーグへ武者修行に出るなど心機一転を図った[7]

1997年も2勝のみに終わり、同年11月4日には球団納会で「野球をすることに疲れた」と現役引退の意向を申し入れ、翌5日に任意引退が決まった[8]。本人は中日時代の2年間は体調が万全でなく、思うような球が投げられなかったと語っており、星野も村田は素晴らしい球を持ってはいたが、腰の故障などから力を発揮できなかったと評している[8]。引退後は会社経営の傍ら、地元・北陸に本拠地を置く福祉関係NPOの役員として活動。

西武移籍後の不振は、ダイエー時代自由にのびのびとやっていたものが西武で急に管理され、それが水に合わなかったとも言われている。監督が東尾修に交代した後は、ダイエー時代のようにのびのびやらせたが、それでも調子が戻らなかった。また、ストレートスライダーカーブが持ち球であったが、そこにフォークを覚えてしまったことでそれまでの持ち球のキレ・コントロールが悪くなってしまったことも影響していると言われている。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1988 南海
ダイエー
7 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 72 16.0 20 2 6 0 0 10 1 0 10 6 3.38 1.63
1989 25 21 4 1 0 7 8 0 -- .467 593 130.0 117 15 88 4 6 107 2 0 72 57 3.95 1.58
1990 27 26 9 1 0 7 15 0 -- .318 789 175.2 179 29 92 5 6 143 4 0 117 113 5.79 1.54
1991 23 23 15 1 0 13 9 0 -- .591 790 188.0 166 17 70 0 7 155 3 1 81 74 3.54 1.26
1992 25 23 12 1 0 10 9 0 -- .526 775 181.2 162 18 76 1 4 123 5 0 79 74 3.67 1.31
1993 25 25 14 1 1 10 12 0 -- .455 817 196.1 171 10 81 4 5 127 3 0 74 70 3.21 1.28
1994 西武 25 20 3 1 0 4 5 0 -- .444 476 101.1 104 9 69 1 4 82 3 0 60 51 4.53 1.71
1995 9 2 0 0 0 0 0 0 -- ---- 79 17.2 14 1 12 0 2 12 1 0 12 12 6.11 1.47
1996 中日 4 3 0 0 0 1 3 0 -- .250 61 12.2 15 4 6 0 1 14 0 0 14 14 9.95 1.66
1997 11 6 0 0 0 2 3 0 -- .400 167 34.0 42 7 24 0 2 21 0 0 24 24 6.35 1.94
通算:10年 181 150 57 6 1 54 65 0 -- .454 4619 1053.1 990 112 524 15 37 794 22 1 543 495 4.23 1.44
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

表彰

  • 月間MVP:2回(1991年6月、1993年5月)

記録

初記録
節目の記録
  • 1000投球回:1995年8月3日、対近鉄バファローズ17回戦(藤井寺球場)、1回裏2死目に達成 ※史上262人目
その他の記録

背番号

  • 50 (1988年 - 1989年)
  • 15 (1990年 - 同年途中)
  • 18 (1990年途中 - 1993年)
  • 21 (1994年 - 1997年)

脚注

  1. ^ 【11月16日】1993年(平5) “特殊潜航艇”根本、久々の大型トレードで秋山ゲット”. スポーツニッポン (2007年11月16日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月31日閲覧。
  2. ^ 「ドラゴンズファンブック '96」 中日新聞社、1996年、 45頁
  3. ^ 中日新聞』1995年10月12日朝刊運動1面28頁「交換トレード 中日、村田を獲得 西武と2対2 前原、清水は放出」(中日新聞社
  4. ^ 『中日新聞』1995年10月12日朝刊運動1面29頁「村田「気持ち一新」 山野「チャンス生かす」 中日入団発表」(中日新聞社)
  5. ^ 報知新聞』1995年10月20日付大阪版(第7版)4頁「中日に〝暫定背番号〟 村田&山野の入団発表」(報知新聞社
  6. ^ 『中日新聞』1995年12月29日朝刊運動1面25頁「は「20」 来期の竜背番号」(中日新聞社)
  7. ^ 『ドラゴンズファンブック '97』中日新聞社、1997年、 65頁
  8. ^ a b 『中日新聞』1997年11月6日朝刊運動2面24頁「中日 村田投手が引退を発表」(中日新聞社)

関連項目

外部リンク





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