杁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 00:46 UTC 版)
杁(いり、閘門・樋門のこと)の設置には大野杁の実績がある一宮の大工原田兄弟が当たった。しかし、実績があるとは言っても、入鹿池の杁には大野杁より更に巨大なものが必要であった。尾張藩の協力で40間(約73m)の杁堤も出来、苦労して杁は完成された。この杁を調節して、水量を変えていく。 杁守役がいて、更にその配下に水練の者が配置された。この杁守役が入鹿池を管理した。 最初に杁守役になった羽黒村の丹羽七郎右衛門と上末村の落合善左衛門は、仕事に慣れず、悪政を敷いてしまったので免官された。次に任官されたのが山田清九郎・森川常八で、代々杁守役を世襲した。彼らは池に程近い神尾村に移住した。給金は切米5石、御扶持一人分であった。彼らの主な仕事は、水役所に池の水位を伝えることであった。 協議の末、用水路に水を流す日が水役所で決まると、水練の者が杁の戸を開けた。水練の者は神尾村の達者であり、給金5石であった。この役には宮吉・甚七の兄弟が当たり、この仕事も世襲化した。満水の池の中、杁の戸は閉まっているが、鉄梃子でこれを開ける。苧縄を結びつけ、轆轤を回して戸を開け、これを閉める時は、槌で打ちつけた。
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