本阿弥光甫とは? わかりやすく解説

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本阿弥光甫

読み方ほんあみ こうほ

江戸前期工芸家本阿弥光悦の孫。父は光瑳。号は空中斎。家職である刀剣鑑定優れ光悦遺風継ぎ茶道書画陶芸彫刻よくした楽焼のほか信楽焼を得意とし、空中信楽称された。本阿弥家家記である『本阿弥行状記』を編集天和2年(1682)歿、82才。

本阿弥光甫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/08 04:43 UTC 版)

本阿弥 光甫(ほんあみ こうほ、慶長6年(1601年) - 天和2年7月24日1682年8月26日))は、江戸時代前期の刀剣の鑑定、研磨、浄拭(ぬぐい)師、陶芸家茶人絵師。祖父は本阿弥光悦。父は光悦の養子・光瑳。通称は三太郎[1]。号は空中斎

略歴

慶長6年(1601年)、京の北の外れ鷹峯光悦村で生まれる。 寛永14年(1637年)、37歳の時に祖父光悦が没するまで、茶の湯香道書画陶芸彫刻を学ぶ。家職である刀剣の鑑定に優れ、工芸は光悦の遺風を継いだ。茶の湯織部流をよくし、茶杓もよく削った。寛永18年(1641年)、法眼に叙せられ、加賀藩前田家より300石の扶持を受ける。

陶芸では楽焼のほか信楽焼を得意とし、「空中信楽」と称された。作品として、黒筒茶碗 銘「寒月」、信楽不二絵茶碗(東京国立博物館蔵)、信楽桐紋水指、信楽芋頭水指(湯木美術館蔵)などがあり、作品には「空中」の彫銘がある。書画作品には、藤・牡丹・楓図 三幅対(東京国立博物館蔵)、藤・蓮・楓図 三幅対(藤田美術館蔵)がある。

本阿弥家の家記である『本阿弥行状記』を編集。天和2年(1682年)7月24日没、82歳。

脚注

  1. ^ 日暮聖、加藤良輔、山口恭子 訳 『本阿弥行状記』平凡社、2011、224頁。 

参考文献

  • 正木篤三『本阿弥行状記と光悦』大雅堂、1945年
  • 林屋晴三編『日本陶磁全集 22 光悦 玉水 大樋』中央公論社、1977年
  • 末宗廣編『茶人系譜』河原書店、1977年


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