本間 憲とは? わかりやすく解説

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本間憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/31 14:54 UTC 版)

ほんま たかし

本間 憲
生誕 1960年(昭和35年)6月22日
国籍 日本
職業 実業家
活動期間 1980年(昭和55年) -
肩書き レプロエンタテインメント代表取締役社長
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本間 憲(ほんま たかし、1960年〈昭和35年〉6月22日[1] - )は、日本実業家。株式会社レプロエンタテインメント代表取締役社長、株式会社ブランジスタ社外取締役。元俳優の本間優二は実兄。

経歴

1980年(昭和55年)4月、株式会社セントラル・アーツに入社[1]。1983年(昭和58年)4月、株式会社スカイコーポレーションに入社[1]。以後、同社のマネージャーとして働くが、1991年(平成3年)2月に独立して株式会社レヴィを設立[1][2]。2001年(平成13年)1月に株式会社レヴィプロダクションズに社名変更[2]。2006年(平成18年)2月にレプロエンタテインメント(略称:レプロ)に社名変更し、現在に至る。2007年(平成19年)2月、ブランジスタ取締役会長[1]。2011年(平成23年)4月、ブランジスタ社外取締役[1]

レプロはモデル事務所として出発し、1990年代は看板タレントが吉川ひなのぐらいしかいなかったが、2000年代前半に長谷川京子が女優としてブレイクし、2000年代後半には新垣結衣が女優として大ブレイクして、それ以降、準大手クラスの有力芸能事務所となる。その背景には芸能界のドンと称されるバーニングプロダクション社長(当時)の周防郁雄の後ろ盾を得たことが大きいとされている[3]。また、ある時期からはもう一人の芸能界のドンである田辺エージェンシー社長(当時)の田邊昭知とも関係を深める[4]。その勢いを買って本間は一時は芸能界最大の業界団体である日本音楽事業者協会(音事協)の次期会長の有力候補となったが[3]、2017年(平成29年)3月に開業した「浅草九倶楽部」と称するホテルに小劇場が附設された自社ビルの資金回収が進まないうちにコロナ禍に見舞われて深刻な経営不振に陥った[5]

レプロ設立前史

本間の実兄である本間優二は俳優になる前にブラックエンペラーという東京都内でも有名な暴走族の総長を務めており、本間自身も若い頃はかなり"ヤンチャ"をしていたという[3]。1980年(昭和55年)4月、19歳の時に知人の紹介で、かつて松田優作らが所属したセントラル・アーツに運転手兼雑用係で入社。これが芸能界に入るきっかけだった[6]。1983年(昭和58年)4月には石田純一などを擁するスカイコーポレーションに転職。同時期に仲間内で人気のある女性をモデルとして紹介するなど仕事の幅を広げて行った[6]バブル期には人気絶頂だった村上里佳子(現・RIKACO)のマネジメントを手掛ける[7]

モデル事務所としてのレプロ

1991年(平成3年)2月、本間はスカイコーポレーションから独立してレプロの前身であるレヴィを設立。設立当初はモデル業がメインで、伊勢丹の広告などにもモデルを出していた。もっとも、今でこそファッション誌のモデルは芸能界入りするための大きな窓口となっているが、当時はまだそこまでの流れはできておらず、「芸能界」と「モデル」の棲み分けは比較的はっきりしていた[3]

ところが1990年代に入ると、モデル業界の大手だったオスカープロモーションがモデルから転身させたタレントの売り出しに成功。このビジネスモデルを他事務所もこぞって真似するようになり、モデル出身のタレントが飛躍的に増えていくことになる。レプロもこの流れに乗り、モデルとして活動していた吉川ひなの(レプロの第一号タレント)をブレイクさせてタレント部門に進出。モデル業をベースとしながら長谷川京子などを売り出してきた[3]

この「モデルからタレント、女優へ」という手法をさらに加速させたのがティーン向け女性ファッション誌の流行である。それまで人気があったのは20代女性向け雑誌のモデルだったが、2000年代に徐々に低年齢化していった。新垣結衣や鈴木えみ辺りから始まった流れだが、近年は10代のうちにモデル活動で同世代の女の子たちのファンを増やし、そこからタレント活動を本格化させていくケースが定番化している。今日では『nicola』や『Seventeen』の専属モデルになることが人気若手女優・タレントへの登竜門となっている[3]

全盛期のレプロを支えていたのは『nicola』との蜜月関係であった。『nicola』の専属モデルは「ニコモ」と呼ばれるが、ニコモ出身の新垣結衣の大ブレイクにより人気ファッション誌となった『nicola』はレプロとの関係を深め、また、朝の連続テレビ小説あまちゃん』で能年玲奈(現・のん)が一躍時の人となったことも相俟って、ニコモ出身者はレプロにおけるエリートコースとなった。最盛期にはレプロから同時期に6人ものニコモを送り込んでいる[3]

周防郁雄及び田邊昭知との関係

本間が芸能界のドンと称されるバーニングプロダクション社長(当時)の周防郁雄との間に太いパイプを築いてのし上がったのは芸能界では有名な話である。当時、いわゆる「バーニング系」の芸能事務所でモデル部門の中核を担っていたのはトヨタオフィステンカラット、そしてレプロの3社で、売れそうなモデルがいればこのうちのどれかに預けられて売り出されていた。特にテンカラット社長の小林栄太朗と本間はかわいがられていて、周防は良くこの2人を連れ歩いていたし、本間も冗談交じりに「俺のアニキは周防さん」と口にするほど親密だった[3]

バーニングの後ろ盾を持つメリットは計り知れない。デビュー時のプロモーションからキャスティング、CM起用と言った仕事面は勿論、タレントのスキャンダル対策など、あらゆる場面で効力を発揮する[3]

しかし、2010年代半ば頃から本間は周防と距離を置き始める。原因はかつて周防の用心棒を務めたこともある二代目松浦組組長にして右翼団体・大日本新政會総裁(当時)の笠岡和雄が自身の公式サイト(現在は閉鎖)で周防の数々の悪しき行状を暴露したことにより周防の芸能界における影響力に若干の陰りが生じ始めたことと、周防が"不肖の息子"の周防彰悟を溺愛して自身の後継者に据えようと考えたことに端を発する[8]

本間はもう一人の芸能界のドンで人望では周防を凌ぐと言われる田辺エージェンシー社長(当時)の田邊昭知にも目を掛けられていたが、この頃から本格的に田邊に接近し始める。

これは周防の舎弟を自認し、本間ともレプロの関連会社であるブランジスタを通じて関係の深かった幻冬舎社長の見城徹も同様で、見城は本間を通じて田邊に接近し[9]、同社の顧問に田邊が収まった[8]。この3人は同社の大株主に名を連ね、2016年6月に同社の子会社からリリースされた秋元康プロデュースのスマホゲーム「神の手」を巡る株の値上がり益で大儲けしたという[4][6]

携わった映画作品

テレビ出演

バラエティ番組

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f 「ブランジスタ【6176】の役員・ガバナンス」 『バフェット・コード』 2025年10月22日閲覧
  2. ^ a b 「沿革」 レプロエンタテインメント公式サイト 2025年10月22日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h i 常田裕「能年玲奈、清水富美加、連続した独立騒動の内幕! 芸能界の"ドン"を継ぐ者―ファッション誌と「レプロ」」 『サイゾー』2017年4月号 pp.54-57
  4. ^ a b 「清水富美加『幸福の科学』出家も影響 SMAP独立問題の現在」 『紙の爆弾』2017年4月号 pp.98-102
  5. ^ 「新垣結衣「ドラマ前倒し復帰」の裏事情!「事務所のピンチに休み返上で…」」 『デイリーニュースオンライン』2020年7月12日18時配信(『Asagei Biz』より転載) 2025年10月22日閲覧 
  6. ^ a b c 嵯峨照雄「独立騒動で資産を売却?「レプロ」芸能ビズの危うさ」 『サイゾー』2017年4月号 pp.58-59
  7. ^ 「所属事務所レプロと能年玲奈の関係はなぜこじれたのか? キーワードは「ヤンキー」だった!? 芸能マネが語る能年"洗脳騒動"」 『サイゾー』2015年7月号 pp.50-51
  8. ^ a b 「芸能界のドンのメディア操作で仕掛けられた能年玲奈"洗脳独立騒動"」 『紙の爆弾』2015年7月号 pp.11-15
  9. ^ 「AKB秋元康とタッグ 首相も利用して台頭 幻冬舎・見城徹社長が目論むメディア支配」 『紙の爆弾』2015年6月号 pp.12-16
  10. ^ 「芸能事務所・レプロのストイックなタレント戦術を大公開!「レプロの戦略すごいな」の声相次ぐ」 『WEBザテレビジョン』2019年1月29日21時55分配信 2025年10月24日閲覧

参考文献

書籍

雑誌

  • 「AKB秋元康とタッグ 首相も利用して台頭 幻冬舎・見城徹社長が目論むメディア支配」 『紙の爆弾』2015年6月号 pp.12-16
  • 「所属事務所レプロと能年玲奈の関係はなぜこじれたのか? キーワードは「ヤンキー」だった!? 芸能マネが語る能年"洗脳騒動"」 『サイゾー』2015年7月号 pp.50-51
  • 「芸能界のドンのメディア操作で仕掛けられた能年玲奈"洗脳独立騒動"」 『紙の爆弾』2015年7月号 pp.11-15
  • 「芸能界の権力を握る3人のドン 「後継者」「女」「博打」 それぞれの「アキレス腱」」 『紙の爆弾』2016年6月号 pp.98-102
  • 「夏目三久・有吉弘行 "熱愛妊娠報道"めぐり暗躍した「2人のドン」」 『紙の爆弾』2016年11月号 pp.20-24
  • 常田裕「能年玲奈、清水富美加、連続した独立騒動の内幕! 芸能界の"ドン"を継ぐ者―ファッション誌と「レプロ」」 『サイゾー』2017年4月号 pp.54-57
  • 「元所属タレントは見た!本間社長は人情派?レプロのちょっとイイ話」 『サイゾー』2017年4月号 p.57
  • 嵯峨照雄「独立騒動で資産を売却?「レプロ」芸能ビズの危うさ」 『サイゾー』2017年4月号 pp.58-59
  • 「清水富美加『幸福の科学』出家も影響 SMAP独立問題の現在」 『紙の爆弾』2017年4月号 pp.98-102

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