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本野盛亨

(本野周蔵 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/02 01:44 UTC 版)

もとの もりみち

本野 盛亨
生誕 八田 盛亨
1836年9月25日
和暦天保7年8月15日
日本肥前国佐賀郡徳万村
現:佐賀県佐賀市久保田町徳万
死没 (1909-12-10) 1909年12月10日(73歳没)
別名 本野 周蔵
本野 周造
教育 思斉館
致遠館
職業 官僚実業家
著名な実績 読売新聞 共同創業者
子供 本野一郎(長男)
本野英吉郎(二男)
本野亨(三男)
本野精吾(四男)
八田晋(実父)
本野権太夫(養父・岳父)
親戚 岩佐新(長女婿)
高柳豊三郎(甥)
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本野 盛亨(もとの もりみち、1836年9月25日天保7年8月15日〉 - 1909年明治42年〉12月10日)は、日本官僚実業家読売新聞創業者の一人。通称周蔵、周造[1][2]。旧姓は八田[2]

来歴・人物

佐賀藩肥前国佐賀郡徳万村(現在の佐賀県佐賀市久保田町徳万)に八田晋の子として生まれた。後に、本野権太夫の婿養子となる。佐賀有田で谷口藍田に師事し、藍田塾の仲間の縁で大阪へ出て、緒方洪庵適塾蘭学を修めた。長崎の致遠館では、フルベッキに英語等を学んでいる[2]

親族

父の八田晋は佐賀藩士。妻總子の父親・本野権太夫も佐賀藩藩士[2]。長女富士子は侍医も務めた岩佐新の妻[3]。長男に外務大臣となる本野一郎、次男に4代目読売新聞社社長となる本野英吉郎、3男に京都帝国大学教授の本野亨、4男に建築家京都工芸繊維大学教授を務めた本野精吾がいる。第3代読売新聞社社長の高柳豊三郎は甥。

脚注

  1. ^ 村瀬寿代「長崎におけるフルベッキの人脈」『桃山学院大学キリスト教論集』第36号、桃山学院大学総合研究所、2000年3月、63-94頁、ISSN 0286973XNAID 110000215333 
  2. ^ a b c d 本野盛亨コトバンク
  3. ^ 岩佐新『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
先代
子安峻
読売新聞社社長
1889年 - 1909年
次代
高柳豊三郎



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