本田緒生とは? わかりやすく解説

本田緒生(ほんだ・おせい)

本名松原乙之助。1900年(明33)、名古屋生まれペンネーム生家である「北尾」をもじった。本多緒生ともいう。
1922年(大11)、「呪はれた真珠」が「新趣味懸賞選外佳作になる。
1922年(大11)、あわぢ生名義の「美の誘惑」が「新趣味懸賞二等入選あわぢ生の名は「日本少年」に投稿していたときに使っていた筆名淡路千之助」に因む。この作品探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1928年(昭3)、「猟奇」の発刊尽力し1931年(昭6)の再刊からは責任同人となる。
苦楽」「キング」の懸賞小説入選したこともある。また、名古屋にて「ぷろふいる」の愛読者集い開催した
1983年(昭58)、心臓発作にて死去



本田緒生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/06 23:15 UTC 版)

(ほんだ おせい、または、ほんたしょせい、1900年4月15日 - 1983年5月18日)は日本の探偵小説家、ユーモア小説家。代表作に「美の誘惑」「鮭」など。別名義に(あわぢ せい)、南丘哲。本名は松原鉄次郎。

経歴

愛知県名古屋市出身。元の姓は北尾であったが、幼少期に松原家に養子に出される。アルセーヌ・ルパンシリーズに触発され、小説家を志した。

1922年大正11年)、『新趣味』に「呪はれた真珠」を発表しデビュー。この時、生家の名字をもじって(きた おせい)のペンネームを使ったはずが「本多」と誤植されていたため、多を田に変え「本田緒生」をペンネームとする。 また、同時期に「あわぢ生」のペンネームも使った。1926年(大正15年)から1927年(昭和2年)にかけての2年で13作を発表するなど精力的に活動していたが、1934年(昭和9年)に「波紋」を発表したのを最後に、家業の肥料問屋を継ぐため小説とは離れる。以後は、後に勤務した食糧営団の機関紙に2篇のコントを南丘哲名義で発表した他に作品はない。

1983年(昭和58年)5月18日、心臓発作のため死去。83歳。

選集

参考文献

  • 鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』晶文社 1985年

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