関西メンバーの活動と同人誌『猟奇』
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「探偵趣味の会」の記事における「関西メンバーの活動と同人誌『猟奇』」の解説
1926年から『探偵趣味』の発行が東京に移り、また同年に江戸川乱歩が上京すると、関西に残った春日野緑・山下利三郎・本田緒生らは、独自の活動を始める。春日野らは、まず『映画と探偵』(映画と探偵社、1925年12月創刊)を「探偵趣味の会推薦雑誌」とした。これが約半年で廃刊になると、1926年10月に「京都探偵趣味の会編輯」を謳った『探偵・映画』(共同出版社)を発行。これも短命に終わったのち、1928年5月、同人誌『猟奇』(Mystery Hunters, 猟奇社)を創刊した。同誌は当時の探偵文壇に対して歯に衣着せぬ批判を展開した匿名コラムで知られ、1932年(昭和7年)5月号までの刊行が確認されている。
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