木津川での浪華商生訓練
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:31 UTC 版)
美津濃在職中の1941年夏、京都木津川の河川敷で滑空機操縦訓練夏期合宿が、浪華商業校生徒を対象に行われることになり、島本真は滑空機操縦の指導員として参加した。その時、同校には島本真の実弟が在籍していた。同年12月にハワイ・真珠湾作戦で日米開戦となるが、当時は、まだのどかな環境で木津川には大きな木の橋が架かっていて、毎日のようにチャンバラ映画の撮影があり丁髷姿の役者が珍しそうに滑空訓練を見ていた。滑空訓練の休息時間には、生徒が撮影を見学したり、役者達も滑空機の操縦席に座らせて貰うなどと、厳しい滑空機操縦訓練の中、穏やかな時間が流れた。 浪華商業校で行われた滑空機操縦訓練夏期合宿、大戦前のひととき プライマリー型滑空機と、若き滑空訓練生達 木製の橋では、時代劇の撮影が行われていた
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