木柵区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/07 23:40 UTC 版)
中華民国 台北市 木柵区 | |
← 1950年 - 1990年 → | |
![]() |
|
簡体字 | 木柵 |
繁体字 | 木柵 |
---|---|
拼音 | Mùzhà |
カタカナ転記 | ムーヂャア |
国家 | 中華民国 |
市 | 台北 |
建置 | 1950年 |
廃止 | 1990年 |
面積 | |
- 総面積 | 25.7386 km² |
人口 | |
- 総人口(1989年) | 9.8640 万人 |
木柵区(もくさくく、繁: 木柵區、台湾語白話字: Ba̍k-sa)は、は中華民国(台湾)台北市にかつて存在した区。台湾台北市の南端、現在の文山区東部に相当した。
地理
東に台北県(現在の新北市)深坑区、北に山を隔てて大安区、信義区、南港区と接し、西には景美山を境に同じく文山区の一部となる景美区と接し、南は待老坑山から二格山までの稜線を境に台北県新店区、石碇区と接する[1]。区内の河谷平原は景美渓沿いに帯状に分布し、平地面積は全体の5分の1に過ぎず、残りは広大な丘陵地となっている[2]。
歴史

元は台湾原住民の平埔族の霧里薛社が住む地域であった。清の乾隆年間に淡水海防庁淡水堡の霧里薛内湖庄に組み込まれ、嘉慶年間に淡水庁拳山堡となり、同治年間には淡水庁拳山堡の内湖庄、木柵庄、頭前渓庄、光緒5年以降には台北府淡水県拳山堡の内湖庄、頭前渓庄となった。
日本統治下では初期は文山堡の内湖庄、坡内坑庄に属し、後年には台北州文山郡深坑庄の内湖と坡内坑として、二つの大字が置かれた。
戦後、中華民国による統治では台北県深坑郷に編入され、1950年3月1日に深坑からの分離により木柵郷となり、1968年7月1日に院轄市(現在の直轄市)に昇格した台北市へ編入され、木柵区が成立した。
その後、1990年3月12日の台北市行政区再編時に景美区と合併して文山区となり、現在当地域は台北市文山区の木柵、万芳、二格山の各地域に属している。
主な施設など
-
台北市立動物園
-
指南宮
-
木柵集応廟
交通
鉄道
区があった当時、地域内を鉄道は通っていなかったが、後の1996年以降になってから同地域に台北捷運の地下鉄路線が開通した。
脚注
- ^ “《文山區志》卷一 土地篇”. 台北市文山区公所. 2021年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月11日閲覧。
- ^ 《臺北市志》卷一 沿革志 封域篇. 台北市文献委員会. (1988-06). pp. 161-169
関連項目
- 木柵区のページへのリンク