木村了子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 10:14 UTC 版)
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木村 了子
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生誕 | 1971年??月??日![]() |
教育 | 東京芸術大学 大学院修士課程壁画専攻修了 |
著名な実績 | 日本画家 |
木村 了子(きむら りょうこ、1971年〈昭和46年〉 - )は、日本画家。東洋の美男子(イケメン)を主題にした屏風絵などを、日本画の技法で描く。
京都に生まれ育ち、旧姓は関本 了子(せきもと りょうこ)[要出典]。 父は映画監督の関本郁夫。[要出典]
経歴
1971年、京都で生まれる[1]。子どものころから絵を描くのは好きであり、得意でもあった[2]。
美大に進路を定め、多摩美術大学に現役合格するが、翌年に東京藝術大学を受験しなおし、進学。油絵を学ぶ[2]。作家志望ではあったものの、東京藝術大学では何年も浪人し、絵を描くのが巧いだけではなく自分のスタイルを確立していたような同級生ばかりで、なぜ自分が入学したのかと落ち込み、絵を描けなくなり、在学中は自分のスタイル、技法を探して放浪していた[2]。大学院に進み、壁画を学び、修了制作で個展を開く[2]。1997年に東京藝術大学大学院修士課程壁画専攻を修了する[1]。
大学院修了後も、芸術を仕事にするにはどうすればいいか分からず、自分が何を表現したいのかもまだはっきりしておらず、出版社に勤務する[2]。
それまで女性像を手がけていたが,2004年から性愛の対象である男性を日本美術の画法、スタイルで描く活動を開始する[3]。木村は、イケメンを描く喜びを感じるともに、「女は描かれるもの、見られるもの」といった従来の考え方からの解放を実感した[3]。「人の性愛は耽美的であるが同時にマヌケで愚かしくもある。そこに人としての本能や色気、愛おしさを感じる絵を描きたい」という木村の信念はイケメン画を描くことによって深化していった[3]。木村のイケメン画は賛否両論を呼びつつも、評価を高めていった[3]。2020年には坂本冬美のシングル「ブッダのように私は死んだ」のジャケット画にも起用された[3]。
2024年のテレビドラマ『燕は戻ってこない』にて木村が描いた春画が使用された[1]。
画風
現代のイケメンを、惜しげのない裸体を日本画の手法で描く。
代表作品
画集
- 『楽園』
主な展覧会
- 美男におわす
- フェミニズムス/FEMINISMS
- 日本画のゆくえ
出典
- ^ a b c d e f g “木村了子「神楽坂の愛人の家」”. 美術手帖. 2025年7月27日閲覧。
- ^ a b c d e 「理想の美男をエロチックに…イケメン描いて15年 「少数派」日本画家・木村了子さんのこだわりとは」『東京新聞』2022年5月8日。2025年7月27日閲覧。
- ^ a b c d e 山本鋼平 (2022年10月1日). “「おとこのからだ」を愛する展覧会 “イケメン画家”木村了子「生きる喜びを感じています」”. デイリースポーツ. 2025年7月27日閲覧。
- ^ 新潟県観光協会. “イケメン官能絵巻!!国上寺(こくじょうじ)で公開中!!/燕市”. にいがた観光ナビ. 2024年11月13日閲覧。
外部リンク
- 木村了子のページへのリンク