有珠・虻田牧場と有珠山の文政噴火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 13:52 UTC 版)
「虻田町」の記事における「有珠・虻田牧場と有珠山の文政噴火」の解説
虻田に和人の定住が見られるのは、1799年(寛政11年)に幕府が蝦夷地を仮直轄として以降のことである。蝦夷奉行の戸川安論が蝦夷産馬の性質の良さを気に入り、これを殖やすための直轄牧場開設を幕府に進言し、有珠・虻田牧場がこの地に建設された。3頭の雄馬と9頭の雌馬をもって開場したのは1805年(文化2年)のことである(このとき建立された馬頭観音碑が入江地区に現存しており、道指定有形文化財になっている)。この牧場の牧士頭取となる村田卯五郎は、1800年(寛政12年)に虻田で定住をはじめており、虻田町ではこの年をもって開基としている。
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