有珠山噴火による危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:06 UTC 版)
再建計画が軌道に乗り始めた1977年に、有珠山が噴火した。噴煙が1万2千メートルにも上るほどの大噴火であったため、温泉街へ向かうバスの運行も途中までしかできず、伊達市に仮設営業所を設置し、情報収集に追われることとなった。 昭和新山の花火大会が噴火前日に行われており、観光客が温泉街に多数いるなかで、住民や観光客を避難させるためにピストン輸送を行った。だが、噴火の影響は想像以上に大きく、洞爺営業所での業務は不可能となった。そのため、伊達市より私有地を借り受けて仮設営業所を設置し、バスの運行を継続した。 しかし、噴火は観光客の減少を招き、洞爺湖温泉だけでなく、登別温泉への観光客も減少した。洞爺湖を観光営業の拠点としていたために、この噴火の影響はとてつもないものとなった。そこに追い打ちをかけるかのように、洞爺に建設したレジャーランドの売却の見通しが立たなくなった。
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