月寒村字西通り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 06:21 UTC 版)
1892年(明治25年) 月寒村字西通りと改称する。 1902年(明治35年) 豊平村・月寒村・平岸村の3村が合併して、豊平村となり、福住地区はその一部となる。6月10日、説教所が光明山福住寺(福住寺の創建)となる。 1908年(明治41年) 豊平村は町制施行し、豊平町となる。 1918年(大正7年) りんご栽培(月寒りんご=平岸リンゴと並ぶ北海道の主要リンゴブランド)が始まる。 1921年(大正10年) 現在の福住2条6丁目あたりで、松本岩松が牛舎を建て、牛12頭を飼育し、福住地区初の酪農を始める。 1942年(昭和17年) 5月20日 戦闘訓練中の少年飛行兵玉田守(当時19歳)が墜落死する。同年には地元住民が玉田の霊を慰めるために故陸軍軍曹玉田守殉職之地碑を現在の福住1条6丁目(福住中央通り沿い)に建立する。
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