月姫(月渓院)にまつわる伝承
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「大善寺 (三原市)」の記事における「月姫(月渓院)にまつわる伝承」の解説
徳川家光の落胤とされる月姫が、将軍家との血縁はあるとはいえ外様大名の浅野家のそのまた家老職であった浅野忠真の側室となったのは異例中の異例であった。浅野忠真には既に正室がいたが子供はおらず、世継の三原浅野家4代浅野忠義は月姫の産んだ子である。月姫が浅野忠真の側室になった経緯については、月姫が江戸城内にて遊戯中に三原浅野家から江戸に預けられていた忠真と偶然遭遇し、本来遊んではならない場所で遊んでいた姫を戒めたことにより忠真に一目惚れしたとの言い伝えがある。当然周りは大反対ではあったが、月姫本人の意思が猛烈に固く、幕府も仕方なく下賜という形で月姫を忠真に授けた。これには三原浅野家はもちろんのこと、主家であり、本藩の広島藩も大変扱いに苦慮した記録がある一方、このような幕府からの特別な配慮は他藩には大変羨ましがられ、「五千三万石」と呼ばれ財政的にも潤い、三原の城下は大発展したという。 浅野忠真は元禄7年(1694年)に逝去。月姫は正徳3年(1713年)、74歳にて逝去し、当寺に葬られた(法名月渓院)。
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