最後の旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 09:52 UTC 版)
1649年の初めから2月にかけて、スウェーデン女王クリスティーナから招きの親書を3度受け取る。そして、4月にはスウェーデンの海軍提督が軍艦をもって迎えにきた。女王が冬を避けるように伝えたにも関わらず、デカルトは9月に出発し、10月にはストックホルムへ到着した。 1650年1月から、女王のために朝5時からの講義を行う。朝寝の習慣があるデカルトには辛い毎日だった。2月にデカルトは風邪をこじらせて肺炎を併発し、死去した。デカルトは、クリスティーナ女王のカトリックの帰依に貢献した。 デカルトの遺体はスウェーデンで埋葬されたが、1666年にフランスのパリ市内のサント=ジュヌヴィエーヴ修道院に移され、その後、フランス革命の動乱を経て、1792年にサン=ジェルマン=デ=プレ教会に移された。
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