最大野党へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:47 UTC 版)
「ニジェール民主社会主義党」の記事における「最大野党へ」の解説
1996年1月に実施された大統領選では、1位が救国委員会のマイナサラ、2位はCDSのウスマン、3位がMNSDのママドゥとなり、イスフは4位に終わった。この結果を不服とし、PNDSは同年11月の議会選をボイコットした。この間に、PNDSはMNSDとの連合を解消し、他の左派系小政党と共に野党連合民主防衛復興戦線を結成した。 1999年4月、大統領警護隊のダオダ・マラム・ワンケ隊長によるクーデターが発生し、ニアメのディオリ・アマニ国際空港でマイナサラ大統領は殺害され、国家和解評議会と称する軍事政権が成立した。国家和解評議会は大統領と首相の権力分担を定めた新憲法案を作成、新憲法案は同年7月に国民投票で承認された。これにともない、10月には新憲法に基づく大統領選が実施され、PNDSもイスフを擁立し参加、第一回投票で22.79%の票を得る躍進を遂げたが、決選投票でMNSDのママドゥに惜敗した。だが同時に行なわれた議会選では、83議席中16議席を獲得し、最大野党の地位を獲得した。 2004年11月16日の大統領選(2004年ニジェール大統領選挙)では、イスフは24.6%の得票で第一回投票をクリアしたが、12月4日の決選投票でまたもMNSDのママドゥに敗れた。決選投票と同時に行なわれた議会選では、PNDSは113議席中17議席を獲得。PNDSと連合を組む他の小政党の獲得した8議席を含めて、引き続き最大野党として活動することとなった。
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