最優秀選手(MVP)表彰の復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:13 UTC 版)
「1931年のメジャーリーグベースボール」の記事における「最優秀選手(MVP)表彰の復活」の解説
この年から最優秀選手賞(MVP)の表彰が復活して、全米野球記者協会が両リーグから1名を選出することとなった。メジャーリーグではこの1931年のMVPから公式記録としている。その第1回のこの年はアメリカンリーグはアスレチックスのレフティ・グローブが、ナショナルリーグはフランキー・フリッシュが選出されている。 前年投手三冠王だったレフティ・グローブはこの年も31勝を上げて敗れたのはわずか4敗であった。勝率.886、防御率2.06、奪三振175で、前年に続いて2年連続の投手三冠を達成し、なおかつ当時はタイトルが無かったが最多セーブでもあり、最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率を合わせて投手の全タイトルを獲得した(投手五冠王)。これは19世紀の1884年にプロビデンス・グレイズのチャールズ・ラドボーンが達成して以来の記録となった。また2年連続の投手三冠は他に1915~1916年のピート・アレクサンダー、1965~1966年のサンディー・コーファックス、1997~1998年のロジャー・クレメンスが達成しており、今日までにメジャーリーグでわずか4人しかいない。 ロジャース・ホーンスビーとの「世紀の大トレード」でジャイアンツからカージナルスに移ったフランキー・フリッシュは、1927年に打率.337・安打208本・盗塁48を記録し1928年には.300、1930年には.346を打ち、この年には打率.311・打点82・本塁打4本を打って盗塁28でこの年の盗塁王をも獲得しカージナルスの2連覇に貢献した。ただ首位打者は同僚のチック・ヘイフィーで、この年の彼が格別に優れていた訳ではない。2年前の旧MVP制度で最後のMVPがロジャース・ホーンスビーだったが、ホーンスビーも得点王だけで獲得したものだった。フリッシュの場合も彼の13年間にわたる攻守の成績が総合的に評価された、と見られている。フリッシュは2年後の1933年から選手兼任でカージナルスの監督に就任し、1934年に「ガスハウスギャング」と呼ばれたカージナルスを率いてリーグ優勝を果たす。
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