曹操の親衛へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 16:21 UTC 版)
曹操が淮・汝の地方を支配すると、許褚は軍勢を挙げて曹操に帰服した。曹操は許褚の勇壮な雰囲気に「我が樊噲である」と言った。その日のうちに許褚は都尉となり、宿衛に入った。許褚に従っていた侠客はみな虎士(近衛兵)となった。 張繡征伐に従軍して先鋒となり、校尉に昇任した。 袁紹との官渡の戦いにも従軍した。従士の徐他らは以前から謀叛を企てていたが、曹操の傍で侍衛している許褚を恐れ事を起こすことができなかった。このため、徐他らが許褚の休みの日に行動を起こしたが、許褚は宿舎まで来たところで胸騒ぎを起こし、すぐに引き返した。徐他らはそうとも知らず曹操の帳に入り、許褚を見て大いに驚いた。許褚は、徐他らの顔色が変わったのを見て謀叛を悟り、すぐさま彼らを打ち殺した。このことで曹操はさらに許褚を信愛し、出入りにも同行させて左右から離さないようになった。 鄴の包囲戦に従軍し、戦功を立てて関内侯に封ぜられた。
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