書院整理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
朝鮮にはそのころ、800ほどの書院(儒学の学校あるいは塾で、儒教を尊重した李朝における権威は強かった)があったが、ほとんどの書院は権威を嵩に着た横暴や専横がひどく、墨牌という金銭を奉納しろという告知書を不正利用して、納めない者への私刑が横行する有様で、書院によるこのような弊害は国庫に打撃を与えるほどであったので、1864年8月書院が保有する土地に税金をかけ、所有奴婢の身分解放などを行った。特に大院君は摂政となって即座に、朝鮮4大書院の一つでありながら横暴や不正が甚だしかった華陽洞書院の権限を取り上げるように命じ、後には廃止させた。背景には大院君が過去に、華陽洞書院の儒生に殴られたことがあったためといわれる。最終的に大院君は指定した47書院を除く全ての書院を廃止させ、祀られていた先賢の位牌を国が管理して、庶民の負担軽減を図ろうとした。この書院整理で搾取に苦しんでいた民衆の支持を得られたが、逆に儒学者からの反発を招くこととなる。集団上京してくる儒者を武力で鎮圧する強硬策で臨んだことで、大院君を支持していた各党派からも批判を受け、執権層の老論派はこの頃から閔妃に接近し、後には大院君を弾劾するまでに至った。
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