暴力性、革命、「見えざる独裁」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 17:10 UTC 版)
「ミハイル・バクーニン」の記事における「暴力性、革命、「見えざる独裁」」の解説
バクーニンを隠れた独裁者であると批判する意見もある。アルベール・リシャールに宛てた手紙で、バクーニンは「見えざる独裁」という概念について記している。だが、バクーニンの支持者からはこの「見えざる独裁」には秘密結社的意味合いはないという主張がなされている。「見えざる独裁」の参加者が公然と政治力を行使することはない、とバクーニンは明示している、とする意見である。 だがチャールズ・A・マディソンによれば、第一インターナショナルを自らの支配下に置こうとするバクーニンの策謀がマルクスとの対立と1872年の追放を招いたのだという。暴力の肯定はやがてニヒリズムへとつながっていき、その結果「アナキズムという言葉が、一般的には暗殺や混乱状態と同義に捉えられることとなったのである」という。 この分析を否定する意見もある。バクーニンは自分個人でインターを支配しようとはしておらず、自身の作った地下組織にも独裁者的権力は行使せず、テロリズムに関しては、革命に反する活動であるとして非難していたという主張である。
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