暗黒期と復活(1971年–1991年)
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1970年代と1980年代初めは暗黒期となった。1971-72シーズンの5位、1976-77シーズンの6位となったが、1970年代には2度しかリギージャ(プレーオフ)に出場できなかった。1980-81シーズンには3位となったが、1981-82シーズンには悲惨な道路事故が起こり、選手のホセ・マルティネスが死去。マルティネスの背番号22は欠番とされ、このシーズンは17位に沈んだ。 1982年には、1960年代中頃にチーバスでプレーしたアルベルト・ゲーラを監督に招聘。1982-83シーズンはレギュラーシーズンで7位となり、リギージャでは準々決勝でアトランテFCを、準決勝でライバルのクルブ・アメリカを破った。1970年代にプレーオフ形式が導入されてから初めてリギージャ決勝に進出したが、決勝ではプエブラにPK戦の末に敗れた。1983-84シーズンにもリギージャ決勝に進出したが、今度はクルブ・アメリカに2試合合計4-5で敗れた。しかし、1980年代後半から1990年代前半にかけては上位に定着。ゲーラ監督が率いた1986-87シーズンにはレギュラーシーズンで1位となり、決勝でクルス・アスルを下して17年ぶり9回目のリーグ優勝を飾った。この期間にはベンハミン・ガリンド、ホセ・マヌエル・デ・ラ・トーレ(チェポ)、フェルナンド・キラルテ、ハビエル・アギーレなどが活躍した。
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