暗黒時代からジェノバ人まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 14:24 UTC 版)
「モナコの歴史」の記事における「暗黒時代からジェノバ人まで」の解説
モナコは西ローマ帝国が476年に崩壊するまでローマ帝国の支配下に置かれ続けた。その後オドアケルに支配され、それは5世紀後半に彼が東ゴート王国により殺されるまで続いた。モナコは6世紀中頃にユスティニアヌス1世が治めていた東ローマ帝国と東ゴート王国との戦い(ゴート戦争)によって東ゴート王国からローマ帝国に取り戻されたが、7世紀になるとランゴバルド人に支配されるようになった。その後モナコはランゴバルド人とフランク人の支配を交互に受けるようになった。この闘争でモナコの人口はほぼ完全になくなったが、975年、サラセン人が追放され、11世紀までにはモナコは再びリグーリア人の手で植民された。 1191年、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ6世はリグーリア人の原住地であるジェノヴァに、モナコの宗主権を与えた。1215年6月10日、ジェノヴァから派遣された皇帝派(ギベリン)がフルコ・デル・カッセロの主導で岩の頂点に要塞の建設を始めた。この日付はしばしばモナコ近代史の始まりの日とされる。 皇帝派はその要塞を戦略的な軍事用の砦とし、その地域の支配の中心に据えることを意図していた。そのために、モナコの岩の砦の周りに人を移住させて必要な駐屯兵を援助するために、要塞周辺へのジェノヴァなどの周辺都市からの移住者を生み出そうとして、払下げ公有地や免税を移住者に提供した。
※この「暗黒時代からジェノバ人まで」の解説は、「モナコの歴史」の解説の一部です。
「暗黒時代からジェノバ人まで」を含む「モナコの歴史」の記事については、「モナコの歴史」の概要を参照ください。
- 暗黒時代からジェノバ人までのページへのリンク