明澄派(明澄透派)の風水
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台湾出身の風水師である張明澄(占術家としては「張耀文」を名乗る)を祖とする占術の一派で、1960年代に来日した張によって日本に伝えられた。風水の思想と、中国の古代の占術である奇門遁甲や、易、四柱推命などが混合された独自の理論を持つ。そのため、風水ではなく奇門遁甲(遁甲風水)の一派とされることもある。 張明澄は1970年代に日本に移住(後に帰化)したため、張の弟子である内藤文穏らによって、日本に一派を形成した。そのため、日本で出版された奇門遁甲解説書の中には、奇門遁甲を風水の一派とみなし、玄空派風水を奇門遁甲の「門派」としているものなど、風水や占術に関する他派の見解や学術的な見解と異なった主張を取るものがある。ただし、風水の主流派とは異なる見解を持つ風水師がいて、それが一派を形成したりすることはそれほど珍しくは無く、中国本国でも風水の流派は非常にたくさんある。 なお、玄空派は奇門遁甲の門派であり、独自の『奇門遁甲天書』を伝承する、というが、『地理辨正折義』によれば玄空派の風水理論が奇門遁甲を「主地」として独自に発展したものである。玄空派の祖とされる蒋大鴻(1616-1714)の『地理辨正』を注釈した『地理辨正折義』に、蒋大鴻の高名な弟子である姜堯章による注釈があり、中でも『都天寶照経』中篇巻四に「天有三奇地六儀,天有九星地九宮,十二地支天干十,干屬陽兮支屬陰」「蓋奇門主地;從洛書來,與地理大卦,同出一原」とあり、玄空派の風水理論が奇門遁甲を「主地」として発展したものとわかる。また「天有九星地九宮」とあることから、当時から奇門遁甲には「九星」と「九宮」が使われていた。
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